ゆっくりでも止まらなければけっこう進む
Posted by watari - 2016.07.03,Sun
祖母が亡くなりました。
99歳。大往生でございます。私の歳まで祖母が健在であったことは非常に運が良かったことだと思います。
祖母とは結婚して独立するまで一緒に過ごしていました。同じ敷地に住んでいましたので、小さなころからかわいがってもらっていました。
東北の震災以降、鎌倉のホームに越したあとも1か月に1回程度は会いに行き、毎週一回は絵手紙を送っていました。その手紙には必ず返事を送ってもらっていました。
それまで手紙を書いたり、絵を描く習慣はまったくなかったわけですが、毎週日曜の9時過ぎに15~30分程度、ばあちゃん宛てに絵と手紙を描いていると何か不思議と近くにいなくとも身近にいるような気がしたものです。
99歳。大往生でございます。私の歳まで祖母が健在であったことは非常に運が良かったことだと思います。
祖母とは結婚して独立するまで一緒に過ごしていました。同じ敷地に住んでいましたので、小さなころからかわいがってもらっていました。
東北の震災以降、鎌倉のホームに越したあとも1か月に1回程度は会いに行き、毎週一回は絵手紙を送っていました。その手紙には必ず返事を送ってもらっていました。
それまで手紙を書いたり、絵を描く習慣はまったくなかったわけですが、毎週日曜の9時過ぎに15~30分程度、ばあちゃん宛てに絵と手紙を描いていると何か不思議と近くにいなくとも身近にいるような気がしたものです。
絵の方も、この5年程度でだいぶ慣れてきて、今年の6月アタマに描いたチャイ子さんはなかなかうまく描けていまして、ばあちゃんにも褒めてもらったりしていました。
毎週送っていた絵手紙を遺品の中から探し出して数えてみたら150通ほどありました。ばあちゃんと一緒に焼いてもらおうかと思ったのですが、ばあちゃんとの思い出を残したくて持ち帰ってきています。
毎週送っていた絵手紙を遺品の中から探し出して数えてみたら150通ほどありました。ばあちゃんと一緒に焼いてもらおうかと思ったのですが、ばあちゃんとの思い出を残したくて持ち帰ってきています。
亡くなる3週間前までしっかりと生活をし、体調を崩して意識のなくなる直前までお肉食べたいなどと言っていたとのことで、さすが、ばあちゃん、という感じです。
大正生まれの関東大震災も太平洋戦争の戦災も生き抜いてきた働き者の女性。なかなか文句が多い手厳しい人でしたが、孫の私には優しい不屈の人でした。きっと100歳まで生きたかったと悔しがっていることでしょう。
なにか実感が湧きませんが、どこかで見ていてもらいたいと思っています。
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