『「空気」と「世間」』読了。【☆☆☆☆☆】
本日は日曜日だけどネタ無しなので読了本の感想を。
鴻上尚史氏の作品。
鴻上氏特有の言葉の強さは感じなかったけど、内容は良かった、と思う。
ちなみに表題の「空気」とは「あの人は空気が読めない」という場合の空気のこと。
「空気を読む」とか「世間に顔向けできない」などの言葉は日本特有だなぁと以前から感じていたのですが、この本のなかに日本人にとっての「世間」とは、西洋における一神教の神(絶対神)と同じものであるということが書かれており、それは私個人としては非常に説得力がありました。
もともとは農耕民族の日本人にとって、稲作(田植え→稲刈り)をしないと生きていくことができなかったわけで、そのなかでムラ(世間)と同調し共同して作業をおこなうということは生きていくうえでの必然となったわけです。たとえばその時期に身体が動かない病気に掛かれば一家が死に絶えることになったところを隣が助け合っていきていく、つまりはムラ全体で農作業をする必要があったというわけです。もちろん隣がそのようなことになれば助け合う。お互い様という言葉はそこにあります。
日本において個人主義的なことを発揮することよりも団体行動が重要視されるというのは歴史的に染み付いた民族の特性なのかもしれません。
西洋人は神には逆らわず、日本人は世間や空気には逆らわないければ全てがうまくいく(と思っている)。全部が全部そーではないとは思いますが、私の周りにも世間や空気を重視する人は、いまでも十分に多い気がします。これはきっと仕方のないことなのでしょう。
ただそんな中で空気や世間になじめない人(なじめなくなった人)は、日本人は村八分にするわけです。これもムラを守るひとつの手段だったのかもしれません。ひとつだけの共同体に属すると村八分にされた日本人は生きていく術を失う可能性があります。でも、ひとつではなくいくつもの共同体に属すれば負担に思うことが減るということもありました。秋葉原事件の犯人も閉じられた共同体でしか生きていなかったから、はじけてしまったのでは?ということも載っていました。
そんな中、私はいくつの共同体に属しているのだろうと考えてしまいました。
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